口 語 短 歌 の 宣 言

 

 花壇は日溜まりで寝そべっている。
 世は太平。古い秩序は磐石。革命はお笑いぐさ。日本は平和の毒に浸りきっているらしい。今日も世界の何処かで誰かが、苦しみに歯ぎしりしている。それは隣の国の事ではなく、さっきあなたの隣を擦れ違った、その人かもしれない、などと言ったら、あなたは笑うでしょうか。
 「ええーっ」と、頭をかかえて、それでもいつものように、楽しく笑うでしょうか。

 歌壇は日溜まりで寝そべっている。
 短歌の世界では、結社という団体がありまして、そこでは中心となる主宰者が、大勢の会員を束ねています。そこで主宰者は「"おうた"の宗匠」として、会員に"おうた"の指導をしたり、「添削」という言葉尻を修正する行為をしたり、選歌として会員が詠んだ幾首かの中からマシなのを摘み出したりするのです。中には、会員が思いついた言葉をほとんど残さないほど変えてしまったり、会員の歌に無茶苦茶な改悪を施して平然としていたり、いろいろな方々がいらっしゃるそうです。僕は寄り付かないので、よく知りませんが。
 そして、その上には、各結社を束ねる団体があるのだそうです。僕は、もちろん、まったく知りません。噂さえ聞きません。
 そんなふうに、歌壇も他の日本の各界同様、立派な秩序で運用されているのです。そこには小さな綻びすらないようです。まったく。

 各宗匠が教えるのは、"おうた"の読み方と詠み方。
 そこで、最も肝腎なのは、文語指導。文末に「けり」とか「たり」とかいう、あれですね。あれを知らないと、短歌は読めないし、詠むことなど、むろんできないことになってます。そうでなければ、宗匠さん達のお仕事は、半分くらい無くなってしまいますからね。聞くところによると、少しでも僕等が普通の生活で遣っている口語表現を歌に詠み込むと、
 「おまえは何年うたを学んでいる? こんな誤りをまだやってるのか」
と、叱られるんだそうです。やだね。
 その結社誌を開けば、会員のみなさんの"おうた"が、幾首か、縦書きで、もちろん一首を一行で、ずらりと並んでます。当然ながら、少しずつ作風も似てる。横並びというやつですね。
 たくさん載っている人が、やっぱり偉いのでしょう。すると、多い行数を確保してる人が、威張れるわけで。一人が、
 「一首を五行分けで載せてくれ」
なんて言ったら、激怒されます。
 「やっと五首、載せてもらえるようになった(つまり五行のスペースを与えられるようになった)」
と、喜んでる人がいるんですから。
 その結果、数年経てば、一般人には、何が書いてあるのか、さっぱりわからない短歌を立派に詠めるようになり、何も知らない人に、
 「ほう。私には難しくて解りません」
と、言わせて、鼻高々。
 良いのでしょうか、そんなので。

 去年、「口語歌集」という、うたい文句で、出版され、評判になった本があります。でも、よく読めば解りますが、あれはやっぱり文語短歌なんです。ちょっと口語表現を取り込んでみただけで。
 昔から口語を遣った短歌というのはあるんです。
 西行だって、やってます。ただ、その頃は俗語をせいぜい単語ひとつでした。当時の和歌の言葉は、もともとその当時の口語に近いものだったようですからね。
 昭和の初期にも、たくさん発表されましたが、リズムもメロディも相も変わらず昔のままだったので、ひどい字余り・字足らず歌ばかり。だから、もうほとんど顧みられないのです。
 リズムも、メロディも、発想法も、口語的という短歌を、僕は読ませてもらったことが、まだ一度もありません。そもそも存在が許されていないのでしょうね。前述の理由で。

 僕は口語で歌を詠んでいます。
 以前は文語で創ってました。でも、それじゃあなたに理解してもらえないことが、よくわかったのです。それに僕が歌を詠むのは宗匠さんに見せるためじゃないし。そもそも誰を宗匠さんにした経験もなし。なんかそれって、めんどくさそうでしょう。あちこち弄られ、手を入れられるのも、嫌だしね。それじゃきっと自分の作品という気がしない。
 それにああいう一つの団体で通じる言葉というのは、結局、内輪受けに陥るような気がするのです。あなたに理解してもらうには、もっと言葉の間口を広くしないといけない。しかも、なにより俗受けする言葉であってはならない。

 ところが、去年、僕は思わぬことに気付きました。
 口語で歌を詠んでいると、そのまますらすら言葉が、まったくメロディもなく、走ろうとするのです。僕等が、普段の生活で遣っている言葉のように、ではなく、普段の生活で遣っている言葉そのまんま。それは偶然、三十一文字を刻んでしまった会話の中の言葉、エッセイ等の散文で遣ってる言葉そのものでした。
 文語表現には、長い伝統があります。五・七・五・七・七と、それこそ数えきれないほど多くの人が、とうてい数えきれないほどの歌を詠み続け、すっかり言葉に五七調が馴染んでしまい、そこへ様々な短歌を詠むための技法を加えれば、まぎれもない短歌が一首できあがるのに、何の伝統もない、何の新たな技法も生み出していない口語短歌は、たちまち「歌とは呼べない、三十一文字でできた、ただの散文」になってしまうのでした。
 ようするに、詩としては何の価値もない、たんなる落書きです。

 それと、もうひとつ、僕は多くの人が歌集を読めない理由に気付いていました。
 読むスピードが速すぎるのです。
 正式な競技としての百人一首歌留多を知っていますか。テレビでも良いです。競技者が取り札を見つめ、読み札が朗詠されます。その読み上げるスピード。あのゆっくり間延びした声。あれが短歌を鑑賞するにふさわしい時間なのです、本当は。僕はそう思います。そうでなければ、古今和歌集の、あの絢爛な技法なんか、味わい、読めるはずがありません。ゆっくり読んだ方が、味わい深いのです。
 だからといって、まさかあなたに、あのゆったりとした速さ、いや、遅さで読んで欲しいなんて、頼んでも実行してもらえるはずがない。現代の読者には、現代人の読書法に適した歌を詠むしかないですよね。

 けど、実は、僕は最初からその解決法を手にしていました。
 行分け・散らし書きにして、短歌を創れば良いのです。つまり、僕が今やってるように、です。それでどちらも、あるていど改善されます。
 行分けにすれば、強引にでも、文章に短歌のリズムとメロディを呼び込めます。一行ではただ一直線に流れていってしまうものが、そこで休止点を得るのです。
 一方、読む方としても、これは手間暇かかります。散らしてるから、行の何処から読み始めれば良いのかを知らなければならないし、一行なら駆け下りるように一息で読める文章も、行分けにすれば、視線はあちこち動かねばなりません。それぐらいの労は、してもらってもいいんじゃないでしょうか。百人一首のような朗詠に付き合うよりは。

 もともと、歌を四行散らし書きにしたのは、僕の内側の問題でした。自分のこんがらがった、ぐちゃぐちゃの心は、あんな真っ直ぐな一行では、とても描けなかった。まず、行を分け、さらにそれを散らして、初めて自分にフィットする言葉が紡ぎ出されてきました。
 もちろん、有名歌人に同じスタイルで書かれた歌集があることも、また、それが平安女房の書や、屏風歌の表記に似ていることにも気付いていました。けど、一番重要なことは、その表記をするようになってから、自分に幾分か許せる言葉が、頭に浮かぶようになってきたこと。僕はそれが本当に嬉しかったんです。

 もちろん、これは僕にとっての解決法で、総ての人に当て嵌まるか、誰もが行分け散らし書きにすれば良いのか、それは解りません。だって、それは僕自身では確かめようがないですから。
 でも、たぶん大丈夫でしょう。僕がこういう歌を詠めるのは、このスタイルを得てからですから。
 だから、僕はなんとしても、この磐石に見える秩序に風穴のひとつでも明けねばならないようなのです。がんばらねば。

 どうです。お気に召しましたか。
 好ければ、またどうぞ。僕はあなたの訪れを、明日も気長に待ってます。
 日溜まりで寝そべっているのは、どうやら僕の方かもね。

(1988.12.14) 

 

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